結婚指輪とは日常に沿ったもの。
国民的に読まれている書物というと、特別ハラハラするような仕掛けもなければ何か示唆を与えるでもなく、 どこにでもある日常の連続性の、ほんの半歩隣を描いた、チビまるこに匹敵するような設計。サザエさんも高視聴率。
結婚指輪のデザインに求められているのも、奇抜なもの、派手なもの、人目を惹くもの、気持ちをかきたてるものではなく、いつもそばに置きとどめたいもの。
話の急展開もいらなければ、オチも必要ない。
本やまんがを支える通といわれる人に支えられるヒットには日常という答えがあるようだ。
結婚指輪に「通」はいないけれど、日常身に着ける指輪には
いつも心地良い。
そんなデザイン、ストーリーに収束していく。
ストーリといえば、「奇怪な指環」という古い小説のような資料を国会図書館デジタルに見つけました。
結婚指輪をデザインする前に、カップルが来店し、どのような指輪が欲しいのかという最初の打ち合わせがあるけれど、こういうのが欲しいという要望の前に、まず結婚指輪が欲しいというコンセンサスができていないまま来店する珍しいカップルの例があった。たいがい、苦労して検索し、ここへたどりつくのに、まずは指輪がもしきつくなったらどうするのという、起こるかどうかわからない将来のリスクが先に立ってしまうという例。
それは家を買ったら地震がきたらどうしよう、車を買ったら事故を起こしたらどうしようという強迫観念に備えて保険というのにはいるのだけれど、指輪に保険というのは誰も考えていないのかもしれない。太ったら、その時は代償が大きいということ。今あるクローゼットの服はボタンが留められない、シャツのボタンも届かない、ズボンのチャックも上がらないくらいお腹回りが大きくなるのと同じ、下着もすべて入らないから買い替えなくてはいけない。最後は指も太くなるのだから指輪も入らなくなる。太ればそれは自分に跳ね返ってくるのだけれど、その時指輪屋さんはどうしてくれるんか。デザインよりそれを聞いてくるひとというのは、結婚したら離婚になったらどうしてくれる?という心配はしないで結婚できるのだろうか。