作れば売れるという時代が過去にあり、今は使い捨ては善しとされない時代。消費は悪、後ろめたい罪悪感。そして生産も消費と一体。
求められないものは作らない。在庫になって処分されるものは無駄。
そして人が欲しいという気持ちを抱く理由に、希少というキーワードがあるように思います。
希少で手に入らなくなると思うと良いものに見えてくるような。「限定販売」とか行列とか。
かつてオイルショックというのがありました。その根拠になった「石油は数10年で無くなる」。北極のシロクマの数も回復した様に、100年もしないうちに、あの騒ぎは一体何だったの?という事に。
「希少価値」
有限なレアメタルを採り続けていいのか?という議論と、レアメタルは枯渇しないという議論。
今最も”ヤバい”レアメタルとは タンタルを巡るアフリカDRCの紛争の動向
北極の氷が解けて海面の水位上昇とか水没と言われても、水割りの氷がとけてもコップからあふれたことがないので。
地球温暖化のうそより抜粋
人類の生産活動が相乗的な役割を果たして居たとしても、「絶滅危惧種」と言う言葉が定着した様に、希少種の絶滅の原因が全て、人間の環境破壊行為に結びつけて、告発~禁止させるのは、グリーンピースの様な似非環境保護ビジネスの匂いがします。 環境保護ビジネスの嘘は、皆が周知すべき事なのかもしれません。
日本が昔から、木を切り倒したら、苗木を植林するように、神が造り賜いし「自然の仕組み」を壊さぬように、使ったら、ちゃんと修復できるような措置を施して、「自然に生かされている人類」と言うスタンスを守り通さねば、人類は後千年も持たず、滅びてしまうでしょう。 この日本的な考えは、自然に世界に広まって行くのは、W杯での、日本人観衆や選手の、「元に戻す」と言う行為に、世界中が賛同・称賛している事は、好ましい事ですね
抜粋ここまで
何が正義で何が悪?
エシカル消費
エコ
ロハス
フェアトレード
消費を控えて無駄をそぎ落として必要最小限の生活をつき詰める合理主義に行きあたるとどうなるか。シンプルイズベストかシンプルイズプーアか。
変わり映えしないデザイン、余白ばっかりで味気ない。なんのアイデアも取り入れられていない、面白みがない、遊びも余裕もない、個性がないと逆に飽きる。色彩も押し殺してばかりではじけることなどないっていうのはもうデザインに興味を失っている状態では?